2018年03月16日

目次

ここまでの朗読の投稿の目次というか一覧を作ってみました。

久米正雄「母を見るまで」
田山花袋「祈祷」
火野葦平「アモル・セコ草」
夏目漱石「入社の辞」
高島平三郎「愛の心理」
佐左木俊郎「文学に現れたる東北地方の地方色」
田畑修一郎「競馬の話」
落語「死神」
正岡子規「飯待つ間」
正岡子規「死後」
小山内薫「梨の実」
大手拓次「あなたのこゑ」
宮沢賢治「ざしき童子のはなし」
石川啄木「白骨」
泉鏡花「旅僧」
二葉亭四迷「小按摩」
三遊亭円朝「心眼」
原民喜「忘れがたみ」
佐左木俊郎「線」
竹久夢二「南海夜話」
竹村俊郎「葦茂る」から
添田唖蝉坊「香具師の群れ」
中山啓「怠け者」
小泉八雲「ちんちんこばかま」
石川啄木「祖父」
室生犀星「老いたるえびのうた」
室生犀星「亀」
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2018年03月15日

久米正雄「母を見るまで」

久米正雄「母を見るまで」
久米正雄『微苦笑芸術』(新潮社、大正13年)所収

朗読:田中敬三

注意:地震の描写があります。

久米正雄「母を見るまで」前編

久米正雄「母を見るまで」後編
posted by 田中敬三 at 10:42| Comment(0) | 朗読 | 更新情報をチェックする

田山花袋「祈祷」

田山花袋「祈祷」

田山花袋、徳田秋聲、菊池曉汀編 『花袋秋聲傑作文集』(綱島書店)大正10年発行 所収

朗読:田中敬三




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  田山花袋



  祈祷





 溪流(たにがは)の大きなのが、丘添ひの田舍町のまんなかを流れてゐる。川岸にひき添つて、一軒の基督教の教會がある。――教會といつても、ほんの假だての講義所といふので。その二階の禮拜所が、けふはいつもよりも美しく裝飾されてある。新しくかへた疊表、紫縮緬のテーブル掛け、オルガンは光るほど拭きこまれ、テーブルの上の大きな花瓶には、褐色の花をつけた太藺、河骨、夏菊なぞの花が、無造作に溢れるばかり挿されてある。――こんなに改まつた裝飾のしてあるのは明日の日曜日に、東京から來た米國人の某牧師が、四五名の求道者に洗禮をほどこす爲めである。

 テーブルの傍に、赭顏(あからがほ)の、まるまると肥つた、禿頭の、この講義所の牧師が座つてゐる。その前に、洗禮を受ける人々が、半圓形に座つてゐる。女が三四人に、男が二人、皆な廿歳以下の若い人々だ。牧師と若い人々との間には、基督教に關する問答が始まつてゐる。――明日の洗禮式の準備ださうだ。

 さて渠は、窓ぎはに一人離れて、冷かな顏をして、問答を聽いてゐる。聽きながら渠は

「洗禮の準備を牧師が予じめ教へておくなんて……ずいぶん形式的のものだナ!」

なぞと思ふ。

 渠だけは仲間外れになつてゐるのは、洗禮の勸めを拒絶したからだ。病身の渠のために幾たびか祈祷會を開いたり、釣たての川魚を――この牧師は釣が好きだ――贈つたりして、百方渠を宗門にひきいれやうとつとめた牧師は、いたく失望した。けれども、渠が信者たらんとして、なり得なかつた場合は、今度ばかりではないのだ。渠はいよいよ洗禮の間ぎはに、いつも、ひねくれた反抗心と現代の青年が抱くやうな懷疑心とに襲はれて、野に迷ふ羊のやうに、教會の門を出てしまう。……そのくせ渠は、神に縋らんとして縋りえず、祈らんとして祈り得ぬ、若くして早くも昏く、冷たい陰影をやどしたわが心を、いくたび泣いたか知れぬ。

 この教會へは、通ひだしてから二月ばかり。老牧師の卑い比喩と、道學的の説教とには、何の感動も起さなかつたけれども、たゞ二つ、渠を惹きつけた力があつた。――それは、前には讚美歌の曲調(メロデイー)で、後には美しい一人の少女(をとめ)である。

 牧師の説教にも、祈祷にも、何の權威も認めない渠も、男女の會員が合唱する讚美歌――柔い手にかき抱かれるやうな、さすられるやうな、何ともいへない情味のある……その美しい肉聲の曲調(メロデイー)には、惚れ惚れとして居つた。渠は、自分のかたく鎖した胸の扉をひらくものは、牧師でも、神でもない。たゞ讚美歌のみとまでに思つた。

 それから、この頃おもひ初めた一人の少女(をとめ)――都會の教育をうけてきたといふ輪廓のあざやかな、瞳の黒い、若い潔い(こゝろ)の泉が沸々と溢れてゐるやうな――さういふ一人の少女(をとめ)が、渠の空想の的となつた。その人は、けふの洗禮を受ける人々の仲間になつてゐる。一番最後につゝましさうに座つてゐるのがそれだ。渠は傍聽しながら、チヨクチヨクその人の顏をぬすみ見る。……その人は、やゝ斜に容よく座つて、順番の來るのを待つてゐる。時々黒い瞳をあどけなさゝうに見はつて牧師の顏を仰いでみる。それからグルリと圓を畫いて、渠と眼をあはせる。……例の少しうつ向いて、奇麗な齒で無意味に笑ふ。

 渠はくすぐられるやうな感じが、胸をとほるのを覺えた。が、

「あの人は明日は信者になるんだ――」

と思ふと、何か、僅なはかない繋目で結ばれてゐたものが、遠く解きはなれてしまうやうな、自分一人が淋しい海岸にでも殘されたやうな、一種の不安を覺えないでもなかつた。

 牧師は柔しい聲で、一人一人に問答を試みた。その問題は、神の存在に對する信仰、神の所在、基督の生年月、聖地の地理、基督と神との關係、三位一體の信仰……そんなものであつた。

 何といふ平凡な、解りきつた問題だらう、と渠は内心呆れた。こんなことならば、智識の上から自分も信者になれるかと思つた。けれども……信仰はあるか?と一人で訊いてみる。と、無いと心が答へる。――渠は何となくいらいらしくなつた。

 その人の番となつた。少女(をとめ)はすこしく熱つた顏をあげた。渠は片唾をのんだ。

 問ひは三箇條きりであつた。

「信者たるものゝ是非とも守らんければならぬ掟がありますが、何ですか。」

「シナイ山で與へたモーセの十誡であります。――汝わが前に我のほか神ありとなすべからず。……」

と脹らみのある聲で、流暢にのべた。

「では、基督信者の日常精神としておかねばならぬ事は?」

「愛と義であります。」

 愛と義――と、渠はそツと口眞似をした。

「我々の一日でも怠てはならぬ勤めは?」

「御祈祷であります。」

と彼女は澁滯なく答へ終つたが、遽に「先生、先生!」と何か訴へるやうな口調で呼びかけた。

「私、あの……御祈祷は毎日きツと致しますけれども……あの……どうかしますと口へ出しては言へませんやうな御祈祷をすることがありますの!」

 牧師の答へは渠の耳に入らなかつた。「口には言へないやうな祈祷!」この言葉は、渠の頭腦(あたま)の中を暴風の如くに通つた。

 その日の黄昏、眼にみえぬ誘ひにかゝつた人のやうに、渠はたゞ一人ブラブラと、丘の上へのぼつて行つた。――けふ新しくえた懷しい感激、それを心靜に、思ひのまゝに味ひかへしてみたい。甘い空想と、舊想(おもひで)の中にわが心を沒して見たい――といふ一心で、のぼつて行つた。

 風もなく、雷も鳴らなかつた穩かな夏の日は、今丘上に暮れやうとする。淡青色のとほい山、藍色の近い峰、ともに空と溶けあふばかり。空氣はしつとりとして、地はすゞしく濕り、夏草と、緑の桑の葉の香が一層によい。蜩の鋭いこゑがキヽヽとする。方々の白い烟は、林をかすめて横に靡いてゐる――渠は夏の夕暮としつくり適つたやうな、何ともいへぬ幸福を感じて、丘の端れの草を敷いて座つた。

 ふと向ふの山麓に、一點の灯を見出した。――空はまだ西山の殘暉(ひかり)をうけて、微白りがしてゐるが、見渡しの低い河岸、散らばつた村落、溪流に截られた谷々……それから一面に深い、濃い「夜」の中に吸ひこまれてしまつた中に、東の山麓に、その灯燈ばかりが一點かゞやきだした。――その灯は、チラチラと微に消えるばかりに、またゝくときは、他界からの幽火のやうにも見えるが、またはツきりと、鮮かに、秋の夜のやうにもみえる。

 渠は一心に、息をこらして紅い灯をみつめてゐた。そのうちに、心は歡喜に湧きかへり、兩眼はキラキラとかゞやきだした。

「あれは東山の山麓の××村だ!」と思つた。「あの女はあすこへ歸つてるのだ!……あゝ、あの女は――」

 渠の胸は名状すべからざる衝動を覺えた。あの灯は二里をへだてゝ孤立した灯ではない。……チラチラする細い光線は、長い空間をとほして自分の眼に繋がつてゐるのだ。――と斯う思ふと渠はとほい灯の中に、その人の面かげが浮ぶやうな氣がした。

「口に言へないやうな祈祷――」

 この言葉がにはかにまた胸に浮ぶ。と、渠は草につツ伏て、その謎の解決を神に祈つた。――初ての祈祷を神にさゝげてみた。


posted by 田中敬三 at 10:33| Comment(0) | 朗読 | 更新情報をチェックする